1963年、現会長の伊藤秀男がレインボー株式会社を設立しました。
当時「絣染め」といえば、伝統的な手作業の染色が殆どで、手工芸品に近いものでした。
伊藤秀男は絣染めを量産化するべく、スポンジローラーによる染色機を作成。飛躍的に生産量を上げることに成功しました。
日産約2,000Kgの生産量でしたが、当時は「絣染めであればOK」という認識であり、堅牢度、安定性、発ガン性物質伝々の縛りは無しに等しく、現在の常識では通るはずのない加工でした。時代は変わり、「体に優しい」はもちろんのこと、「再現性」「安定性」を追求した結果、現在のバキューム染色へと技術改革されました。かすり染色に向き合い続けて50余年。10年前のレシピでも、1ロット1,000Kgのオーダーを頂いても対応できるほどに、積み上げてきた技術が弊社にはあります。
以前は「今年の冬は黒」等の流行がありましたが、現在はどうでしょう?『個』の感覚が優先され、「みんなが着る」からではなく「自分が好き」な色、形が求められているのではないでしょうか?
絣の流行も、昔は4~5年の周期で回ってきました。しかしながら今現在絣染めを知る人達がどれ程いらっしゃるのか?我々がPRを怠っていたことは事実としてありますが、これが絣染めということを知らない人が多くなっている気がしてなりません。絣染めのことを知らないから絣染めを使用した製品も少なくなったのか、絣染めを使用した製品が少なくなったから絣染めを知っている人が少なくなったのか、いずれにしても絣染めに携わる私たちがその魅力を広く知っていただくために尽力しなければならないと感じております。そのために弊社は製品作りも始め、手始めにマスクと靴紐を作りました。絣染めを使った靴紐を使うとシンプルなスニーカーが足元からカラフルになり、マスクでさえもスカーフをするようにオシャレになる。絣染めはファッションには必要不可欠な存在であることには間違いないと考えておりますので、これからも絣染めを活かした製品作りをしていきます。
絣染色の加工所は世界でも数十社程です。そんな中、会長、私、息子の親子3代で技術と感性を継承してきました。少なくとも私が死ぬまで絣染めを天命とし、世の中に広めるべく頑張っていく所存であります。息子もこの意志を継いでくれることでしょう。
レインボー(株)は オンリー1であり続ける企業としてこれからも活動していきます。